マクロスΔとマクロスF、両作品を考察する

劇場版はどう動くのか

個人的には

マクロスFもその人気の高さから劇場作品が製作されています。二部に渡る構成で、一作目はテレビシリーズの内容を踏襲しつつも後半は全く異なる展開を見せてくれる『劇場版マクロスF~虚空歌姫~』

が2009年に公開され、その2年後には完全オリジナルの新作として『劇場版マクロスF~恋離飛翼~』が2011年に公開された。

初見で見たとき、筆者はテレビシリーズを全て見た後だったのだが全く異なる内容にはやはり楽しめたが、言ってしまうとテレビシリーズよりも劇場作品の方が圧倒的に面白かったという意見が真っ先に出てくる。それこそ頻繁に見ているといっても過言ではない、それくらい面白いと感じた。テレビと映画では制作費なども大きく違って、面白さも次元は違ってくるからなのだろう。ただ個人的にはラストの結末でみせた展開が一番の胸熱ポイントで、優柔不断ながらも最終的にアルトが誰をどうして選んだのかがはっきりと見て取れたのもあるからだ。

それについても映画二作をじっくり見れば分かるように、アルトとシェリル、そしてランカの心理状況などから見て取れます。

所々で異なる設定

劇場作品は言ってしまえばテレビシリーズのマクロスFとは全く異なる展開と思ったほうがいい。諸設定ついても異なる部分があり、それを紐解くだけでもテレビシリーズを見た人はまず悩まされます。では一体どんな部分が違っていたのかというと、以下の様な点だ。

テレビシリーズと異なる劇場版での設定

  • アルトとランカが物語以前から知り合いという設定
  • シェリルがあらゆる陰謀の渦、その中心に位置している
  • ミハエルの幼なじみであるクランが、アルト達よりも一つ上になっている
  • グレイスの態度がシェリルに対して非常に同情的
  • ブレラが一貫して悪者

制作秘話では

この2作は制作時からどうするかと、色々な要素を取り込む予定だったという。ただあまりに膨大な量と限られた分しか映像化出来ないこともあって、殆どカットされている。中でも恋離飛翼は当初、なんと6時間にも及ぶような新設定があったというから、逆に凄い。虚空歌姫においても諸々のシーンがカットされてはいますが、恋離飛翼においてはその比ではない。新作とだけあって、シェリルとランカに次ぐもう一人の歌姫を出そうとも案があったというのだ。

それら全て盛り込まれていたら6時間もの大作になる、というだけでも正直長過ぎる。ここから広げて更に劇場版が制作できるならまだしも、作るにしても映画一本作るだけに何千、何億という投資が必要なので現実的ではない。見てみたい気もするが、それらが全て盛り込まれていたら個人的な傑作ではなかったかもしれませんね。

公開館数から見ても

ここ最近は何かとアニメの実写化がされている、そして軒並み失敗している。例を上げるつもりはありませんが、劇場公開数が多ければヒットするといった法則はないようだ。それこそ虚空歌姫、恋離飛翼を例にするとよく分かるポイントでもある。何せ両作品とも公開時は40スクリーンにも満たない劇場でしか公開されていないにも関わらず、映画は大ヒットを記録した。マイナーな作品と言ってもいいレベルなのに、これだけ高い人気を獲得出来たのも作品のクオリティが高かったことも影響している。

最後には

何よりこの劇場版での見どころは歌もそうですが、三角関係の結末がはっきりと明確に表現されている点だ。アルトはきちんと選んだ、しかしそれが叶うことはなく、しかもヒロイン1人は病状悪化によって昏睡状態に陥って死の淵に陥ってしまうという。エピローグ的なラストにおいて誰もが幸せになる、願い続けていた情景と想いの成就が叶わないことからみても、シリーズを通せば一番の悲劇とも言えなくもない。

ようやく通じあった二人の想い、引き裂かれるように離別する二人。1人選ばれず、残ったヒロインはただ歌を捧げていつか来るだろうその瞬間を願い続けて歌を捧げる、といった展開だ。あえて名言はしませんが、何だかんだで文章にしてみると新作だけに面白さが再認識できそうだ。

それだけの作品、そう断言してもいい。新作というフレーズは伊達ではなく、テレビシリーズから派生して生まれた劇場版がここまで進化するなど誰が予測したか。またスタッフも監督以外は最終的にどんなエンディングを迎えるか知らなかったと言われているので、それも相まって高く評価される起因となっているのでしょう。